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ねじまき鳥クロニクル

 今更ながらに読みました。
 これに先んじて村上氏の短編集を複数読みました。

 まだまだという感じですが、なんでも知ったように語りたがる性なので・・・
 概して冗長ということなのでしょうか。 ただそれは批判というより純粋に特性を指摘しているだけで・・・むしろ氏の文章の魅力はそこに1つはあるのだろうと思えます。
 短編集を読んでて思ったのは、後にこれといって何も残らないけど、ずいぶんスイスイ読んでしまう文章だなと。 何か私としてはそれは一種のファッションのようでした。

 ところでこの書評、どこに書こうかしらと思ったのですが
 こういう小説の、言ってみれば感想をローカルデータベースにコツコツ残してもшなかろうと
 いうことで、ブログにしました。
 訪れる人もないので大して変わりはないかもしれませんが

ねじまき鳥クロニクル〈第2部〉予言する鳥編 (新潮文庫)

著者:村上 春樹

ねじまき鳥クロニクル〈第2部〉予言する鳥編 (新潮文庫)

 私は読了後、すぐに「ねじまき鳥 解釈 (あるいはまとめ wiki)」でググりました。
 どこかにまとめwikiがあるだろうという思考になってるんですね。なんともはや。

 少なくとも私はときに、ネット上の誰かの解釈や感想を探し求めます。
 (以下ネタバレ等に構わない文)

 さて細かい話はいいとして、

 結末から言ってまず私が思ったのは、いやまず私が途中で思っていたことは、
 「春樹はこのなんとも得体のしれず、なんとも根源的なものを最終的に明らかにするのだろうか? それともやはり不明瞭な存在のまま語り終えるのだろうか?」
 ということでした。そして私は前者に期待していたのです。
 そんな明瞭な回答を求めること自体誤りなのかもしれない。
  しかし氏は何か革新的な概念を、それを示唆する「言語」を見出したのかもしれない。
そうだとすれば 全くそれは願ってもいないことだ!!と期待しました。

 結末から言えば不明瞭なままで終わりました。
 正直少し残念でした。だけど文学としては、いや要するに言語で表わしきれないものを扱ったのだから当然かもしれない。何かエログロ的な描写を用意されたら逆にがっかりというものか。
 でまあとかくここで再び思ったのは
 「この作品は至るべき帰結として不明瞭なままの結末となったのか? それとも春樹はワタヤ・ノボルであり、結局言わんとすることを持ち合わせない道化なのか?」
 ここんとこは知りたいなと思いましたね。

 まあ何にせよ面白い作品でしたよ。
 いずれノーベル賞とりそうだ。たしかに。

 現実的に重要性を感じた点は
 なんというか・・・かなぁり単純に把握している現実の裏側には
 いろんなものがうずまいているっちゅうか。
いや複雑というより1つ1つの因果は単純でも僕らはその時々の都合でそれを意識したり無視していたり、あまりにいろんなことを見ずに生きているよな。と思いました。

 私としては人生迷宮の壁を打破するおもしろい鍵でも見つかればなと思いますが、
 それは結局のところ幻想なんだろうか。
 あまりに唯物的な現実はあまりにロマンや救いに欠ける。

 うーむ。どうして現世俗世ってやつはこういう思索を認めないのだろう。
 みんなみんなそれを個別では持っているくせに。

 ああそうそう。第3部と前2部のギャップは後で知りましたが、
 読んでて明らかに違うなと思いました。完成度でいったら前2部のが断然高いですね。
 確かにあれで了でもいいのかな。 猫が帰ったのはよかったですけど。

 3部はちょっとずれてる感じがしなくもない。何か説明臭いというか。
 んー。   まあそれはそれで

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