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ねじまき鳥クロニクル

 今更ながらに読みました。
 これに先んじて村上氏の短編集を複数読みました。

 まだまだという感じですが、なんでも知ったように語りたがる性なので・・・
 概して冗長ということなのでしょうか。 ただそれは批判というより純粋に特性を指摘しているだけで・・・むしろ氏の文章の魅力はそこに1つはあるのだろうと思えます。
 短編集を読んでて思ったのは、後にこれといって何も残らないけど、ずいぶんスイスイ読んでしまう文章だなと。 何か私としてはそれは一種のファッションのようでした。

 ところでこの書評、どこに書こうかしらと思ったのですが
 こういう小説の、言ってみれば感想をローカルデータベースにコツコツ残してもшなかろうと
 いうことで、ブログにしました。
 訪れる人もないので大して変わりはないかもしれませんが

ねじまき鳥クロニクル〈第2部〉予言する鳥編 (新潮文庫)

著者:村上 春樹

ねじまき鳥クロニクル〈第2部〉予言する鳥編 (新潮文庫)

 私は読了後、すぐに「ねじまき鳥 解釈 (あるいはまとめ wiki)」でググりました。
 どこかにまとめwikiがあるだろうという思考になってるんですね。なんともはや。

 少なくとも私はときに、ネット上の誰かの解釈や感想を探し求めます。
 (以下ネタバレ等に構わない文)

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9days the third night

納得できないことはしたくない
それが私の価値観を支配しているのかも
ふくれた自我の愚かしい結果とも思えるがかといって理にせよ情にせよ私はそこを放れられない

誠こそかつて僕が見い出すことのできた確かな答えであった訳だが、今はその誠を利用されて我々は苦しめられているような疑いがあって何とも信じきれない

でもそれでも退廃の道に希望があるなどと思ってるわけではなく、現実的な選択としては充満充実を選ぶのであり 問題はその軸となるものなのだ
つまり現実があまりに自己侵食的であるために それらを貫きうる軸を見失っているのだ。 ああ!

いや 何か熱情的な概念を求めようというのは既に省みられた試みではなかったか
しようのない自分をうまく何とかしていこうというのが道であるか
それで十全ではないが目下必要なのは情ではなく建設的な行動の継続であろう

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