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変身

 いやーカフカもいいですねぇ~ー~)
  ここで 「カフカも」 というのは前に読んだ
   カミュの『異邦人』を意識しているわけです。

 異邦人の巻末か何かで
  この2人が対照的に挙げられていたように思います。
 私自身、『異邦人』と『変身』は非常に似ていると感じました。
  そしてそこに込められている2人の作者の思想もまた
    似ていると感じました。
 対照的という印象はまだ持っていませんが
  対照性はある程度の共通性を前提としていることを想えば
   そうなのかもしれません

 今回は『異邦人』との比較を軸に書きましょう。
 

 『異邦人』との共通点

1.不条理による悲劇である
 ここでいう不条理とはムルソーの殺人やグレーゴルの変身ももちろん含むけれども、それ以上に、主人公が凡そ素直に現実に対応しているのに状況が悪化していくことである。そこにある根本はまさに『異邦人』のタイトルが示しているように、まるで違う言語を話しているが如くに理解されない個体の孤独さなのだと思う。

2.にも拘らず最期にはある種の幸福感が感じられる
 ムルソーは斬首刑。グレーゴルは衰弱死。客観的に見れば明らかな悲劇である。しかしムルソーは幸福だと確信し、グレーゴルは家族のことを想い安らかな瞑想状態の内に息を引き取り、グレーゴルの家族は希望を持って出かける。
 ここの解釈には哀しみに対する快感のような余計なものを除いて取り掛かる必要があると思う。それは恐らく、不条理を認識したときの境地なのではないかと思う。ただ『変身』の場合はグレーゴルや家族がその境地に至ったというよりは、カフカ自身がそこに至ったのだと思われる。
 言ってしまえば『シーシュポスの幸福』に近い。

  2人に共通する思想、それはやっぱり「不条理」なのだろう。カフカの方は純粋に奇妙さと悲劇の文学の風が強いものの、最期の妙な明るさはやはり不条理を見ているのだと思われる。
 ここは私としての結論だが、最大の不条理は結局、運命などより、むしろどこまでいっても理解し合うことのできない個体存在、人間同士にあるのだろう。  

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